五姓田芳柳

五姓田芳柳(ごせだ ほうりゅう、初代、1827年(文政10)~1892年(明治25))
江戸出身。本名は浅田。

歌川国芳に浮世絵の技術を学び、また狩野派の画技を修得する。
しかし、1858年頃から、独自に西洋画の技術を取り入れた「横浜絵」と称される画風を展開。
始めは、外国人にみやげ物として評判になる。
その後、地方の藩士や名士などからも声がかかり肖像画などを描き、自身の名を上げる事に成功。
1873年には、明治天皇の肖像画を手掛けるまでに至る。
当時の肖像画家のトップにまで上り詰めた。

芳柳の描く画は、日本画と西洋画の融合とも言え、一見日本画風に見えるが、
当時は、油彩の画材が手に入りにくく、いかに西洋画に近づけるかという葛藤の末、
生まれた画風であり、独自の緻密写生画が特徴。