中村不折

(なかむら ふせつ、慶応2年(1866)~昭和18年(1943)6月6日 78才没)
東京の京橋に生まれ。幼名を鈼太郎。

1887年、高橋是清の館に住み込みながら小山正太郎に師事し絵を学ぶ。
1896年、正岡子規とともに新聞「日本」の記者として日清戦争に従軍し、中国に渡り書に興味を持った。
1901年、渡仏して、ラファエル・コランやジャン・ポール・ローランスらから絵の指導を受ける。
1905年、帰国し明治美術会の後身である「太平洋画会」に所属。主に歴史画の分野で活躍した。
1934年、太平洋美術学校校長に就任。
1936年、台東区根岸の旧宅跡に書道博物館を開館した。

森鴎外や夏目漱石等の作家とも親しく挿絵や題字を書く。
不折の筆跡は現在でも宮坂醸造の清酒「真澄」や新宿中村屋のロゴに見ることができる。

帝国美術院会員、芸術院会員。